豆のまち、帯広
いま十勝清水町に移った農事試験場の構内に、十勝の豆の品種改良した記念碑があります。
この地帯だけでなく、北海道農業を経済的に独立させ、今日のように発展させたのはいろいろな要因がありますが、主に第一次世界大戦による雑穀類(豆類)の暴騰にありました。
この大戦の渦に巻き込まれなかった日本は、参戦国が求めている食糧の供給地となったため、北海道の青碗豆(グリンピース)は一俵二円のものが、最高四十円にまではねあがったそうです。
青碗豆ばかりでなく大手亡、長うずら、澱粉などが平均七、八倍になり、青碗豆を一俵もって行くと白米一俵に味噌、醤油を一樽ずつ買ってまだ釣銭が来るという・・・
そんな豆景気、澱粉景気で十勝や北見の土地はまたたくまに開拓がすすみ、帯広や北見の町が豆成金の上に形成され、十勝の道はすべて帯広とつながっていきました。
今この町の十字路にたつと、必ず病院が目につきます。
それは豆成金で無理をした十勝農業の、過労の結果であるという人がいます。
「日本の北の涯ての農業都市/どこよりも雪融けが遅く/どこよりも霜の早く来る平原のなかに/
ちょうど皺だらけの農民の掌にのった/一粒の穀物のように小さな市…」
これは劇作家久保栄が帯広を舞台にして書いた『火山灰地』の幕あき前の朗読の部分です。
この作品の舞台は帯広市内にあった農事試験場(現在清水町)です。
かつて十勝は馬産王国ともいわれ、日高の競走馬とちがって、農耕用の重軌馬の産地で、日高浦河の競走馬の銅像に対して、ここには朔風に向って噺くペルシュロン種の種牡馬の銅像があります。
しかし、今はこの嘶きに答える馬の姿がありません。
ここに畜産大学があり、種畜場がニヵ所もあるということは、山麓の寒冷地や湿原、火山灰地などを抱いた、道東農業の基地ともいえるでしょう。
北海道に行くなら、札幌旅行だけでなく帯広もおすすめします。